俳優・大泉洋のファミリーヒストリー|武家から開拓者へ、そして今につながる「流れ」

2026.06.18

幅広い役柄を自在に演じ分け、世代を問わず高い人気を誇る俳優・大泉洋さん。コミカルな印象と、確かな演技力を併せ持つ存在ですが、NHK「ファミリーヒストリー」への出演は、当初迷いもあったといいます。そんな大泉さんの背中を押したのが、俳優・福山雅治さんでした。

「先祖からの流れで、今の自分があるっていうのがわかるから。ぜひ出たほうがいい」

その言葉に背中を押され、大泉さんは出演を決意します。番組を通して明らかになったのは、北海道出身というイメージの裏に隠れていた、東北武士の血と、時代に翻弄されながらも生き抜いてきた人々の確かな足跡でした。

「北海道の人」大泉洋、その出発点

大泉洋さんは、知る人ぞ知る生粋の北海道出身です。幼少期は江別市で過ごし、小学生のときに札幌市南区へ引っ越しました。番組では、現在も南区に暮らすご両親を訪ね、大泉家のルーツについて話を聞くところから調査が始まります。

先祖調査において、肉親が健在であれば、まず話を聞くことが重要です。両親は、自分より一世代、二世代先の話を直接聞いている可能性が高く、最も身近で心強い協力者でもあります。

大泉さんの父親は、こう語りました。
「どうも、うちは東北出身らしいんだよね」
「武家の出だって話も聞いたことがある」

場所は宮城県の「白石」。しかし、それ以上のことははっきりしません。だからこそ、ここから公的資料による調査が始まります。

戸籍が示した「白石」という確かな起点

番組が最初に行ったのは、大泉家の戸籍調査でした。先祖探しにおいて、戸籍を請求しなければ何も始まりません。戸籍は、先祖がどこに住み、どの名前を名乗り、どのように移動してきたのかを示す、最重要資料です。

戸籍を辿ると、大泉家の本籍地は
「宮城県刈田郡白石本郷(現在の白石市)」
であることが判明しました。

両親の記憶と、戸籍の記録が一致した瞬間です。点だった話が、線になり始めます。

白石城と片倉氏 ― 武家の影を追う

番組は白石市を訪れ、白石城へ向かいます。文化財保護委員から話を聞くと、白石城は仙台藩の南の要として、代々「片倉氏」が治めてきた城であることが分かります。

さらに、仙台市博物館を訪ねると、片倉氏に仕えた家臣の名が記された史料が残されていました。こうした博物館や資料館は、地域の武家や豪族を知るうえで欠かせない調査拠点です。

その史料の中に、番組スタッフはある名前を見つけます。
「大泉善八」

「安定」と「善八」― 専門家の視点がつなぐ仮説

大泉洋さんの戸籍を遡って最初に現れた人物は、高祖父にあたる「大泉安定(やすさだ)」さんでした。
一方、片倉氏の家臣として史料に残るのは「大泉善八」。

直接的に同一人物と断定できる証拠はありません。しかし、仙台市博物館の学芸員は重要な指摘をします。

「この時代、家系で共通の字を使うことは非常に多いです」
「大泉家が代々『安』の字を用いている点を考えると、関係性はかなり高いと思われます」

ここで大切なのは、独断で結論を出さず、必ず専門家の意見を仰ぐことです。先祖調査は推理ではなく、史料と知見の積み重ねで行うものなのです。

さらに、白石市教育委員会にも「大泉善八」の名が記された資料が残されていました。武家出身者の場合、「分限帳」と呼ばれる帳簿が残されている可能性があります。分限帳とは、藩士の名前、禄高、役職などを記した公式記録で、武家ルーツを探るうえで極めて重要な史料です。

分限帳には、大泉家の指小旗(家印)まで記されていました。また、「白石城下絵図」には、大泉家の屋敷の位置も示されていました。

敗者となった武士たちと、北海道への道

しかし、戊辰戦争によって仙台藩は敗北します。武士たちは禄を失い、生きる道を探さなければなりませんでした。その新天地こそが、当時「未開の地」とされた北海道でした。

「奥羽盛衰見聞誌」という史料には、北海道への移住船の乗船名簿が残されており、そこに「大泉善八」の名が記されていました。専門家に相談しなければ辿り着けない史料です。

この「善八」こそが、大泉洋さんの高祖父・安定さんであることが、判明しました。

「白石村」という地名が語る移住の歴史

札幌市史編纂委員を務めた人物からは、「白石村移住以来保存ノ書類」という史料が提示されました。そこにも「大泉善八」の名が記されています。

移住者たちは、まず仮小屋を建て、毎日約2キロ離れた土地まで通いながら開墾を進めたといいます。白石から来た人々が築いた村は、やがて「白石村」と名付けられ、現在の札幌市白石区へとつながっていきます。

北海道には、伊達市、北広島市など、本州の地名を冠した土地が数多く存在します。北海道出身者の先祖が本州出身であることは、決して珍しいことではありません。

武士の教養が生きた時代――警察官、そして村会議員へ

北海道立文書館には、安定さんの履歴が分かる「庁員履歴短冊」が残されていました。そこから、安定さんが警察官として働いていたことが判明します。

当時は識字率が低く、文字の読み書きができる武家出身者は重宝されました。安定さんもその一人だったのです。

さらに、晩年には白石村の村会議員を務めていた記録も残っていました。先祖が議員を務めていた場合、市町村や都道府県の公文書を調べることで比較的容易に足跡を辿ることができます。

公務員の系譜― 曽祖父「安行」、祖父「恒三」

安定さんの息子、曽祖父の安行(やすゆき)さんの足跡は、札幌高等裁判所の史料から明らかになります。明治27年の職員録には、札幌区裁判所の書記として名を連ねていました。

公務員であった先祖は、「職員録」を調べることで高確率で名前が見つかります。職員録は明治時代からほぼ毎年発行されており、非常に有効な資料です。

安行さんはその後、旭川、小樽と勤務地を移します。小樽市立図書館に残る「小樽便覧」には、「大泉執達吏役場」と記され、しかも「極めて公正」との評判まで載っていました。

祖父の恒三さんもまた、昭和9年の職員録で小樽区裁判所の書記を務めていたことが判明します。

記録に残らない「人柄」は、人が語る

番組では、大泉洋さんの父・恒彦さんの幼少期の写真も紹介されました。本人も知らなかった写真だったといいます。写真やアルバムは、意外な親戚の家に残されていることが多く、探す価値があります。

恒三さんの人柄については、恒彦さんがこんなエピソードを語ってくれました。
幼い頃、映画館の窓ガラスを割ってしまったが、「大泉恒三の息子だ」と分かると、咎められなかったというのです。

記録には残らない、こうした話こそが、先祖を「人」として立ち上がらせます。

母方・清水家 ― 四国から北海道、そして世界へ

大泉洋さんの母・正子さんは、愛媛県八幡浜の出身です。戸籍調査から、曽祖父の清水肇さんが松山市にルーツを持つことが判明しました。

遠縁を辿ると、松山市で精神科医をしている子孫が見つかり、その母が肇さんについての記録を残していました。そこには、肇さんが伊予鉄道松山市駅の駅長を務めていたことが書かれていました。

さらに、防衛省防衛研究所の史料から、日露戦争・旅順攻略に従軍していたことも判明します。戦争関連の調査は複雑ですが、兵籍簿や軍歴証明書を取り寄せることで、詳細な履歴が分かります。

ハワイへ ― 太平洋を越えた縁

肇さんの子である祖父「泰(ゆたか)」さんは、慶應義塾大学に進学。その後、ハワイ在住だった岡本シズコさんと結婚します。

番組はハワイ・オアフ島まで赴き、ハワイ大学マノア図書館で「布哇日本人年鑑(1912年)」を調査。そこには、両家の名前が記され、さらに当時の住宅地図から、二つの家が隣同士だったことまで判明しました。

戦争、復員、そして再び北海道へ

泰さんは二度にわたり召集され、兵籍簿には左太ももを銃弾が貫通した記録まで残されていました。終戦後の復員は昭和21年3月。46歳となった泰さんは、北海道愛別町へ移住します。

「松山県史」には、愛別町へ移住した人々の記録が残されており、正子さんや当時の同級生が、石ころだらけの土地での苦労を語ってくれました。同級生という存在も、当時を知る貴重な証言者です。

父母の出会い、そして「今」へ

旭川で出会った父・恒彦さんと母・正子さん。馴れ初めは曖昧でしたが、父が残した日記にしっかりと記されていました。日記や手紙もまた、重要な一次資料です。

武家として白石城下に生き、敗戦で職を失い、北海道を開拓し、公務に尽くし、戦争を生き抜き、再び土地を切り拓く。その積み重ねの先に、大泉洋さんという存在があります。

ファミリーヒストリーは、過去を知る番組であると同時に、「自分はどこから来たのか」を問い直す旅でもあります。大泉洋さんの歩んだ調査の道筋は、多くの人にとって、自らのルーツを辿るための確かな指針となるでしょう。