佐藤浩市のファミリーヒストリー|戸籍がつなぐ家族の記憶

2025.11.12

俳優・佐藤浩市さんがたどる「父・三國連太郎のルーツ」

俳優の佐藤浩市さんは、今年で俳優人生45年を迎えます。

父は、日本映画史に名を刻む名優・三國連太郎さん。本名は佐藤政雄。浩市さんが小学生の頃、両親は離婚し、父とは長い間離れて暮らしていました。

しかし近年、「父の人生をきちんと知りたい」と思うようになったといいます。番組ではその想いをもとに、三國連太郎さんのルーツをたどりました。そこには、家族すら知らなかった物語があり、そして“戸籍”が重要な鍵を握っていました。

父・三國連太郎さんの出自──南伊豆に残るルーツ

佐藤さんの妻・亜矢子さんは、義父である三國連太郎さんから「自分は本当は佐藤ではない」と聞いていたといいます。

この言葉をきっかけに、番組では三國さんの出自をたどる旅が始まりました。

三國連太郎さんこと佐藤政雄さんは、大正12年、佐藤正さんと小泉はんさんの長男として誕生。これは番組では明言されていませんでしたが、十中八九、戸籍によって確認されている情報です。

母・小泉はんさんのルーツを追うと、静岡県賀茂郡南伊豆町にたどり着きました。南伊豆町には今も小泉家の親族が残っており、「うちは代々漁師だった」と語っていました。つまり、戸籍から本籍地を調べることで、実際に今も親族に会うことができたのです。

番組では、明治28年の「東京控訴院裁判録」も紹介されました。そこには浩市さんの曽祖父の名前が記録されており、裁判記録が先祖の人生を知る重要な手がかりとなることが示されました。

また、政雄さんの兄妹が登場し、母・小泉はんさんの苦労を語りました。中学にも行けず、呉で女中奉公に出されていたといいます。親族や兄弟であっても、自分の知らない話を持っている可能性があるのです。

長年三國さんを取材してきた関係者も登場し、奉公時代の知られざるエピソードを明かしました。小泉はんさんは奉公先で妊娠がわかり追い出され、偶然出会った浩市さんの祖父・佐藤正さんに助けられ、結婚し政雄さんを生んだそうです。

祖父・佐藤正さん──松崎町に生まれた職人気質の男

佐藤正さんは、明治26年、静岡県賀茂郡松崎町で誕生しました。こちらも十中八九、戸籍で確認されたものです。松崎町には現在も佐藤家の親戚が残っており、かつては桶屋を営んでいたといいます。こうした情報も、戸籍に記された本籍地を訪ねて初めて分かることです。

番組には地元の郷土史家も登場し、当時の職業や風習について詳しく解説していました。郷土史家や地元の資料館の方に尋ねることで、先祖がどのような仕事をしていたのかを知ることもできます。

正さんは桶屋を継がず、シベリア出兵を経験。軍での技術を生かして電気工事関係の仕事に就いたといいます。三國さんの職人気質は、まさに祖父譲りといえるでしょう。

さらに、三國連太郎さんの小学校時代の同級生(101歳)が見つかり、当時の話を語ってくれました。父や祖父世代の同級生なら、いまも存命の方がいるかもしれません。こうした生き証言も、貴重なルーツの一部です。

また、番組のナレーションでは「戸籍によると昭和16年、沼津で5歳年上の女性と結婚」とありました。戸籍を調べることで、知らなかった婚姻歴や、腹違いの兄弟の存在が明らかになることがあります。実際、浩市さんには腹違いの姉がいたことが判明しました。

戦争が変えた父の人生──軍歴が語る足跡

戦争は、政雄さんの人生を大きく変えました。召集令状が届き、一時は逃げたものの、佐賀県唐津で捕まったといいます。この話を知っていたのは、後妻の方や、三國さんを長年取材していた人たちでした。

番組では政雄さんの戦争中の足跡を丁寧にたどっていますが、これは十中八九「軍歴」をもとにした調査です。日中戦争や太平洋戦争に従軍した兵士の軍歴は、現在も都道府県庁や厚生労働省に保存されています。番組がここまで詳細な戦争の記録を紹介できたのは、その資料のおかげと考えられます。

政雄さんは抑留先で出会った女性と結婚し、宮崎県に移住しました。その女性との間には子どもが生まれ、浩市さんの腹違いの姉にあたります。

その姉の息子さんが番組に出演し、母から聞いた三國さんの話を披露していました。こうした親族の証言や、残された写真・資料は、家族の歴史を知る上で非常に重要です。

その後、政雄さんは鳥取県倉吉市へ移住。おそらくこれも戸籍で確認された情報でしょう。倉吉ではふとん店の人が当時の三國さんを覚えており、住所を頼りに訪ねることで、かつての生活の痕跡を知ることができました。

俳優となったのちの三國さんに関しても、番組では当時の台本が登場。職業にまつわる資料も、ルーツ探しの重要な手がかりになります。

母・阿部敏子さん──神楽坂の芸者として生きた人

母・敏子さんは、神楽坂を代表する芸者でした。芸達者で、三味線の腕前も抜群だったといいます。

当時を知る人々は、「洋裁も得意だった」と語っており、芸者という枠を超えた多才な人物像が浮かび上がりました。

敏子さんの実家・阿部家のルーツは、宮城県塩釜市にあります。番組では「戸籍で確認」と明言されており、塩釜には今も阿部家の本家が残っていることがわかりました。

本家には家系図が保管されており、家の歴史を示す貴重な資料です。戸籍で本籍地を特定し、そこに今も親族が残っていないか確認することが、ルーツ調べの基本といえます。

阿部家の先祖は「海商」だったそうで、番組には東北学院大学の先生が登場し、当時の海運業や塩釜の発展について解説していました。

さらに、曽祖父・政治郎さんが上京して銀座で商売をしていたことが、商工録によって明らかになりました。明治〜昭和期の商人であれば、「日本洋装業商工名鑑」などの記録から足跡をたどることができます。

敏子さんはのちに父方の叔母の養女となっていたことも、戸籍から判明しました。

こうした知られざる事実を確認できるのも、戸籍の力です。

やがて三國連太郎さんと結婚し、後年にはテレビ番組で当時の思いを語っていました。こうした映像資料もまた、家族史の貴重な証言になります。

戸籍がつなぐ「家族の記録」

今回の番組では、南伊豆の漁師、松崎町の桶屋、塩釜の海商──それぞれの土地に受け継がれてきた血の物語が浮かび上がりました。

そして、何よりも大切なのは「戸籍こそがルーツ調べの第一歩」だということです。出生地、婚姻歴、転居先、親族関係。戸籍を起点にすることで、先祖の足跡を確かにたどることができます。

そこから郷土史家や親族、友人たちの証言を重ねていくことで、記録の向こうに“生きた人生”が見えてきます。

佐藤浩市さんが父の軌跡をたどったこの旅は、「自分がどこから来たのか」を確かめる旅でもありました。

血の記録と、人の記憶。二つを結ぶ線の上にこそ、家族の真実が息づいているのだと思います。