俳優・渡辺いっけいさんのファミリーヒストリー|学者になれなかった祖父の夢と、芸を愛した一族の物語

2026.07.06

名脇役を支えた家族の歴史

今回の主人公は俳優・渡辺いっけいさん。

ドラマや映画、舞台で数多くの作品に出演し、主役を支える名脇役として高い評価を受けてきました。

NHK連続テレビ小説『ひらり』で注目を集め、その後も数え切れないほどの作品に出演しています。

実は渡辺さん自身、『ファミリーヒストリー』の熱心な視聴者だったそうです。

「自分が出演するなら知りたいことがある」

そう語る渡辺さん。

果たして、そのルーツにはどんな人々がいたのでしょうか。

父方・渡邉家のルーツ

番組取材班がまず向かったのは、渡辺さんの故郷である愛知県豊川市。

実家には父・一弘さん、母・しま子さんが暮らしていました。

渡辺いっけいさんの本名は、

渡邉一惠(かずよし)

と書きます。

芸名の「いっけい」は、この「一惠」を音読みしたものです。

三人兄妹の長男として生まれました。

渡邉家は江戸時代初期から続く農家でした。

番組では代々の戒名が書かれた「過去帳」が紹介されます。

これは先祖調査において極めて重要な史料です。

戸籍制度が始まる明治以前の先祖を知るためには、寺院の過去帳や墓石が重要な手掛かりになります。

実際、この過去帳には元禄三年の記録が残されていました。

初代は

「ちこ太夫(TV画面から漢字が読み解けません)」

という人物。

江戸時代前期まで遡れることになります。

家に古い過去帳が残されている方は、一度確認してみる価値があります。

家系図以上の情報が残されていることも少なくありません。

学問を愛した祖父・半次

そこから九代後に生まれたのが、明治36年生まれの祖父・半次さん。

しかし半次さんは54歳で亡くなったため、渡辺さんは会ったことがありません。

それでも祖父とのつながりはありました。

渡辺さんは祖父の眼鏡をお守り代わりに持ち歩いているのです。

しかもその眼鏡は、渡辺さんが俳優になるため上京するときに母から渡されたもの。

先祖の遺品は単なる物ではありません。代々受け継がれてきた記憶そのものです。

家に残る時計や写真、手紙、着物、農具などもまた、立派な家族史の史料になります。

戸籍が教えてくれる先祖

半次さんは曽祖父・傳(つたえ)さんと曽祖母・よきさんの子として誕生しました。

番組では系図が紹介されていましたが、おそらく戸籍調査によって判明した情報でしょう。

家のルーツを調べる際、まず最初に行うべきは戸籍収集です。

戸籍を遡れば、

  • 先祖の名前
  • 生年月日
  • 兄弟姉妹
  • 本籍地

などが判明します。そこから先祖の人生を追うことが可能になります。

優等生だった祖父

半次さんは非常に優秀な人物で、地元の名門教育機関だった私立寶山学院へ進学します。

半次さんの学生時代の写真も残されていました。

明治以降の先祖調査では、写真の発見は決して珍しくありません。

実家だけでなく、

  • 本家
  • 分家
  • 親戚
  • 寺院

などにも残っている場合があります。古写真はぜひ探してみたいところです。

神社に残る地域の記憶

番組は寶山学院があった砥鹿神社を訪問。

神職の方によると、寶山学院は東三河の優秀な子どもを集めて育成する教育機関だったそうです。

先祖調査では神社も重要な調査先です。

奉納額や氏子名簿、寄進記録などが残っていることがあります。

地域に根付いた家ほど、神社との関わりは深いものです。

四度の家出

半次さんはさらに進学を望んでいましたが、父・傳さんは許しませんでした。

長男として家を継がせるためです。結果として半次さんは農家を継ぐことになります。

ところが――

半次さんは突然失踪します。行き先は東京。親戚の家へ転がり込んでいたのです。

しかし、父に見つかり、連れ戻されます。その理由は何だったのでしょうか。

手紙が明かした祖父の夢

後年、半次さんの弟・仙治さんが残した手紙が見つかります。

そこには衝撃的な内容が書かれていました。

兄は寶山学院始まって以来の優等生だった。
東京の大学へ行きたくて四回も逃げ出した。

そして、

ついに百姓になってしまった

とも記されていました。

さらに、

死ぬまで父を恨んでいたのではないか

とも。

この手紙から見えてくるのは、

「学者になりたかった祖父」

の姿です。

戸籍だけでは決して分からない人生。手紙や日記が持つ価値の大きさを改めて感じさせます。

村歌舞伎との出会い

そんな半次さんでしたが、別の顔もありました。村歌舞伎の役者だったのです。

番組では当時の舞台も紹介されました。

役者として舞台に立つ半次さん。

それを見て恋をした女性がいました。

後に妻となる冨田志づさんです。

渡辺いっけいさんは祖父に会ったことがありません。

しかし、村歌舞伎の舞台に立っていた祖父と、俳優となった自分との不思議なつながりを感じていたようでした。

父・一弘さん

半次さんと志づさんの間に生まれたのが父・一弘さんです。

番組では同級生が登場し、学生時代のエピソードを語りました。

父母世代であれば、同級生が健在な場合も多いです。

同級生は、

・当時の写真
・卒業アルバム
・思い出話

を持っていることがあります。

聞き取り調査は非常に有効です。

その後、一弘さんは農業を継ぎながら国鉄職員として働くことになります。

母方・伊藤家のルーツ

続いて母・しま子さんのルーツ。

兄妹はすでに亡くなり、実家を継ぐ人はいませんでした。

番組で紹介されたのは一枚の古写真。

それだけが伊藤家の記憶を残していました。

写真一枚から始まった調査

取材班はその写真を手掛かりに調査を開始。

現在の愛知県新城市にたどり着きます。

近所の方の案内で山中へ。

40分ほど歩くと、写真に写っていた米倉と思われる建物を発見しました。

母屋はすでに倒壊。瓦だけが残っていました。

たった一枚の写真でも、ここまで辿り着けることがあります。

写真は先祖調査において非常に強力な証拠です。

芸達者だった常三郎

しま子さんの父・常三郎さんは芸達者だったそうです。

特に安来節が好きでした。

そして芸を教えた人物として、

「とうすけ」

という名前が伝わっていました。しかし、伊藤家の戸籍には見当たりません。

資料館が見つけた意外な真実

三河万歳研究者も知らない人物。

ところが新城市設楽原歴史資料館から連絡が入ります。

藤助に関する史料が見つかったのです。

その正体は、

「小野田藤助」

自ら一座を率いた芸人でした。

さらに調査すると驚きの事実が判明します。

小野田家の戸籍を調べたところ、藤助の母・さたさんが伊藤家出身だったのです。

つまり、常三郎さんと藤助は従兄弟同士。

芸好きな母

しま子さんも芸事が得意でした。ピアノが上手だったと同級生は語ります。

その後、保育園に勤務。教え子まで登場し、人柄を語ってくれました。

資料だけでは見えない人間性。それを知るためには人に会うことが欠かせません。

伝承だけだった話が戸籍によって裏付けられました。

これこそ戸籍調査の醍醐味です。

父と母の物語

二人はお見合いで出会いました。

しかし、しま子さんの家族は結婚に反対。

一度は破談になります。

さらに別の縁談も持ち上がりました。

ところがある日。

駅で偶然、一弘さんを見かけたしま子さん。

思わず走り寄ったそうです。

運命の再会でした。

その後二人は結婚。

長男・一惠が誕生します。

祖父の夢は孫へ受け継がれた

幼い頃から芸達者だった一惠少年。

やがて大学へ進学し、俳優を志します。

上京の日。

母は祖父・半次さんの眼鏡を手渡しました。

学者になりたかった祖父。

村歌舞伎を愛した祖父。

芸事が得意だった母方の一族。

その流れの先に、俳優・渡辺いっけいさんがいました。

この回を見ていると、人生は決して一代で完結するものではないと感じます。

叶わなかった夢。

諦めざるを得なかった願い。

語り継がれた記憶。

そうしたものが世代を超えて受け継がれ、やがて別の形で花開く。

渡辺いっけいさんのファミリーヒストリーは、まさに「先祖から受け継いだ想い」が現在へとつながる物語でした。

そして先祖調査の観点から見ても、

  • 戸籍
  • 過去帳
  • 写真
  • 手紙
  • 学校資料
  • 神社資料
  • 地域資料館
  • 同級生への聞き取り
  • 親族への聞き取り

など、家族史調査の基本が数多く登場する非常に参考になる回だったと言えるでしょう。