白浜アドベンチャーワールドのパンダ「彩浜(サイヒン)」のファミリーヒストリー

2026.04.01

白浜アドベンチャーワールドで飼育されていたパンダ「彩浜」のファミリーヒストリー。

NHK「ファミリーヒストリー」は、これまで数多くの著名人のルーツを辿ってきました。俳優、歌手、スポーツ選手、文化人。戸籍や古文書、学校資料や戦争記録を手がかりに、人の命の流れを明らかにしてきた番組です。

しかし、この回は特別でした。主役は、人ではなく「パンダ
和歌山県白浜町にある「アドベンチャーワールド」で生まれ育った、メスのジャイアントパンダ「彩浜(さいひん)」のファミリーヒストリーです。

動物のルーツを、ここまで本格的に、しかも人と同じ視点で辿る試みは極めて珍しいものでした。

彩浜という存在

彩浜は、2018年8月14日に誕生しました。生まれた場所は、白浜アドベンチャーワールド。当時、園内には多くのパンダファンが詰めかけ、その誕生は全国的なニュースとなりました。

母は「良浜(らうひん)」、父は「永明(えいめい)」。姉には「結浜」「桃浜」「桜浜」などがいます。

父・永明にとって、彩浜は白浜に来てから15番目の子ども。まさに大家族です。

一家の名前には、すべて「浜」の字が使われています。この一家は「浜家」と呼ばれています。

番組は、ここで疑問を投げかけます。この浜家は、どこから来たのか。彩浜の命は、どこからつながってきたのか。

アドベンチャーワールドの職員も、こう語っていました。
「永明のお父さん、お母さんくらいまでは気にしたことがありましたが、それより前となると……」

そこで番組は、浜家のルーツを本格的に調べることを決意します。

VTR1 父方・永明のルーツをたどる

彩浜は、浜家16番目の子どもとして生まれました。
まず番組が着手したのは、父方「永明」のルーツです。

●中国へ――パンダの「戸籍」を求めて

番組が向かったのは、中国・北京。中国全土の動物園を束ねる組織、「中国動物園協会」です。

副会長が案内したのは、世界中で飼育されているパンダの情報を管理する巨大なデータベースでした。
パンダ一頭一頭には、国際血統登録番号が付けられています。彩浜にも、もちろん登録番号がありました。

さらに、「スタッドブック」と呼ばれる血統登録簿も存在します。
まさに、パンダ版の戸籍です。

そこから、永明の家系が明らかになっていきます。

●永明の血統

永明の母は「永永(えいえい)」、父は「良良(りょうりょう)」。

さらに遡ると、永永の父母は、野生で保護された個体であることが判明しました。野生だったため、それ以上は遡ることができません。

一方、良良の父は「楼楼」、母は「岱岱」。楼楼の父母も野生。岱岱の父は「都都」、母は「方方」。

つまり、彩浜から最も遡ることができた祖先は、高祖父・都都と高祖母・方方でした。

人間と同じように、ルーツを辿るには、まず公的な記録を確認する。
戸籍を遡らなければ、先祖調べは始まりません。それは動物であっても同じでした。

●都都と方方――四川省から北京へ

都都と方方は、四川省で保護されていました。
都都は1963年に保護された際、推定3歳。
方方は1972年に保護され、推定4歳とされています。

その後、2頭とも北京動物園へ送られました。

そもそもジャイアントパンダは、四川省などの標高1500〜3000メートルの山岳地帯に生息し、竹を主食としています。

19世紀、フランス人宣教師アルマン・ダヴィドが四川省の山あいの村を訪れ、白と黒の不思議な毛皮を譲り受け、それをフランスへ送りました。現在も、その毛皮と骨格標本はパリに残されています。

これをきっかけに、世界はパンダという動物の存在を知ります。しかし、毛皮目的の狩猟が流行し、パンダは絶滅の危機にさらされました。

1938年、中国政府はパンダの捕獲を禁止します。

北京動物園には、都都に関する詳細な記録が残されていました。
動物であっても、これほどの記録が残っているのです。
人間であれば、新聞、文集、日記など、どこかに痕跡が残っている可能性があります。

●都都の子、岱岱、そして良良

都都は北京動物園で健康に過ごし、4頭のメスと交配。
23頭もの子どもをもうけました。

1974年、方方との間に生まれたのが「岱岱」。
彩浜の曾祖母にあたります。

岱岱の当時の映像も残されていました。
文書だけでなく、映像もまた重要な記録です。

1986年、岱岱は9番目の子どもとして「良良」を出産します。
この良良が、彩浜の祖父です。

良良の兄には、日本で有名になったパンダがいました。
1992年に上野動物園に来日した「リンリン」です。

一方、良良は展示用ではなく、繁殖用パンダとして育てられました。

そして1992年、良良の子として、永明が誕生します。
生まれたばかりの永明の映像も、しっかりと残されていました。

VTR2 永明、海を渡る

永明は1994年に来日します。
来日時の写真が、今も残されていました。

写真は、先祖調べにおける重要な史料です。
実家だけでなく、勤務先、関係団体、資料館など、あらゆる場所を探す価値があります。

●世界初の挑戦

アドベンチャーワールドは、中国・四川省の成都ジャイアントパンダ繁殖研究基地と交渉を開始します。
目的は、ブリーディングローン――繁殖目的での長期借り受け。

当時、世界でパンダのブリーディングローンの前例はありませんでした。
それまでのパンダ来日は、すべて「友好の証」だったからです。

交渉は難航しました。
さらに、日本側では通産省が受け入れ許可を出さず、動物保護団体からも反対の声が上がりました。

それでも、アドベンチャーワールドは諦めませんでした。
何度も通産省に通い、訴え続けました。

その結果、世界初のパンダ・ブリーディングローンが成立します。

●準備の日々

受け入れのため、現副園長の中尾さんは猛勉強を始めます。
渡された資料は、すべて中国語。

当時の資料も番組では提示されていました。
こうした仕事の資料も、先祖の足跡を示す重要な史料です。

1994年、オスの永明と、メスの蓉浜が来日。
来日当時の映像も数多く残っていました。

しかし1997年、蓉浜は死去します。
永明も一時は元気を失いましたが、飼育員たちは永明の口に合う笹や竹を探し続け、食欲を取り戻させました。

そして、新たなパートナーとして梅梅が来日します。
この梅梅が、後の彩浜の祖母となります。

VTR3 母方のルーツ――梅梅の物語

梅梅の父は「林楠」、1985年に白水江で保護。
母は「蘇蘇」。

蘇蘇は1986年、四川省馬辺イ族自治県で保護されました。
四川省の新聞社には、その時の記事が残されていました。

記事には、こう記されています。
村の畑を荒らしに来たと誤解され、銃で撃たれる。2か月後、衰弱した状態で保護。

当時、中国では高速道路開発が進み、山林が分断されていました。
さらに、数十年に一度咲く竹の花によって竹が枯れ、食料が不足していました。
蘇蘇が人里に降りてきたのも、その影響でした。

保護後、蘇蘇は成都動物園で治療を受けます。
一度は心肺停止状態に陥りますが、人工呼吸を交代で行い、奇跡的に回復しました。

このような、人から聞かなければ分からないエピソードも、ファミリーヒストリーの重要な要素です。

1994年、蘇蘇の5番目の子どもとして梅梅が誕生。
蘇蘇は2017年、34歳まで生きました。人間で言えば100歳に相当します。

VTR4 浜家のゴッドマザー

梅梅は母性の強いメスでした。
飼育員たちは、梅梅を「浜家のゴッドマザー」と呼びます。

アドベンチャーワールドの飼育員が梅梅に惹かれ、日本に連れて行きたいと申し出ます。しかし中国側からは反対の声が上がりました。

「良い母親だから、手放すべきではない」

それでも、当時の中国側飼育員の一人が、アドベンチャーワールド側に立ちます。
その人物の証言も、番組では紹介されました。

2000年7月、梅梅が来日。
永明との相性は抜群でした。

しかも、梅梅は来日時すでに妊娠しており、白浜で生まれたのが良浜。
ここから「浜」の字を使う名前が始まり、浜家が誕生します。

VTR5 命はつながり、彩浜へ

梅梅は良浜を大切に育てました。
飼育員たちは、日記、写真、映像を丹念に残していました。
それは、未来の命のためでもあります。

梅梅は永明との間に7頭の子を産みました。
しかし、ある日突然、梅梅はこの世を去ります。

その後、良浜が成長し、永明と交配。
その末っ子として生まれたのが、彩浜でした。

野生の山奥から始まった命が、保護され、研究され、国境を越え、多くの人の手によってつながれてきた結果です。

おわりに

人間だけでなく、動物にも確かなファミリーヒストリーがあります。
記録、写真、映像、人の証言。
それらを一つずつ辿ることで、命の流れが見えてきます。彩浜の物語は、単なるパンダの成長記録ではありません。
「命はどこから来て、どう受け継がれていくのか」
その問いに、静かに、しかし力強く答えてくれる回でした。