立川志らくのファミリーヒストリー|落語家を形づくった家族の記憶について

2025.09.18

 独自の芸風と歯切れのよい語りで人気を集める落語家・立川志らくさん。NHK「ファミリーヒストリー」では、本名「新間一弘」としての家族の物語が丁寧にひもとかれました。

 戸籍、学校資料、地図や雑誌に残された記録を丹念にたどり、意外な先祖の姿が浮かび上がります。本稿では、家系図調査の視点から番組の見どころを振り返ります。


第1章 祖父・伊三郎の足跡

 志らくさんの祖父・深谷伊三郎は、鍼灸師として生きた人物でした。実家に残されていた遺品からその職業が判明し、さらに戸籍をたどることで曽祖父・惣祖母の名や生誕地・麹町までさかのぼることができました。戸籍を通じて、幕末から明治初期の人物像まで具体的にたどれる点が、調査の大きな醍醐味です。

 国会図書館に残された明治43年の地図を使い、当時の町並みを確認。さらに、千代田区立番町小学校には伊三郎の名簿が残されていました。学校資料は、アルバムや文集を含め、先祖の子ども時代を知る貴重な手がかりです。

 その後、伊三郎は奉公を経て、日本大学専門部法律科に進学。昭和3年の機関紙「法制」に名前が記録されており、校史資料を探る中で個人名が浮かび上がった好例でした。

 しかし、時代は世界恐慌へ。思うように就職できなかった伊三郎は鍼灸の道へ進みます。番組では、伊三郎に直接教えを受けた人物の証言や、彼が発刊した鍼灸治療雑誌も紹介されました。祖父世代の弟子が健在であることは稀有であり、記憶が直接つながる貴重な場面でした。志らくさん本人も「祖父のことは知らないことだらけ」と語っていましたが、資料や証言を積み重ねることで確かに人物像が形づくられていきました。


第2章 母・新間家の歴史

 母方の新間家はさらに古い時代へと遡ります。戸籍からは高祖父が安政生まれであること、本籍地の所在地も確認できました。明治22年の浜松町町会議員選挙人名簿には「新馬金三郎」と記載があり、文字の誤記も含め、当時の資料を探ることの重要性を物語っています。

 祖母・新間好子は、浜松の西遠女子学園に通っていました。学校には大正時代のアルバムが残されており、そこに好子さんの若き日の姿が写っていました。母校の記録が先祖の足跡を残している好例です。

 さらに、遠縁の親族が好子さんの馴れ初めを語り継いでいました。こうした口伝もまた、家族史を肉付けする重要な要素です。浜松市立中央図書館には大正期の新間家の写真が残されており、当時の暮らしぶりを視覚的に伝えてくれます。

 戸籍からは、好子さんが一度別の男性と結婚して死別していたこと、のちに志らくさんの祖父・川井明と結婚したことも判明。婚姻や離別の記録も戸籍ならではの発見であり、意外な事実が明らかになることがあります。

 川井家の実家は今も浜松に残り、写真資料が伝わっていました。中央大学の学籍簿には明の名前が記載され、やはり母校に資料を求めることの有効性が示されました。さらに、明は好子との結婚のために「駆け落ち」し、その結果、川井家の戸籍には相続人排除の理由が詳細に記載されるという珍しいケースも紹介されました。

 戦後には浜松駅前で旅館「白木屋」を経営しており、浜松国体の準備要綱にも旅館の規模が記録されていました。思いがけない行政資料からも先祖の営みが浮かび上がる好例です。


第3章 父母の物語

志らくさんの父は、趣味で「けん玉」に熱中し、本を出版するまでに至りました。趣味や特技は一見記録に残らないように思えますが、出版や新聞記事といった形で痕跡が残ることがあります。番組では父の友人からも証言が寄せられ、家族史に厚みを与えていました。


まとめ

立川志らくさんのファミリーヒストリーは、祖父・伊三郎の鍼灸師としての人生、母方新間家の大正期の暮らしや結婚の物語、そして父母世代の記憶まで、多彩な資料と証言が重なり合う内容でした。

番組が示したのは、戸籍を起点に、学校資料、地図、機関紙、選挙人名簿、図書館の写真、行政資料、さらに親族の証言まで、あらゆる情報を組み合わせることで先祖の姿を立体的に描けるということです。

志らくさんが「知らなかったことだらけ」と語ったように、多くの人にとって先祖の人生は意外な発見に満ちています。その発見を積み重ねることで、落語家としての個性の奥にある「家族の物語」が見えてくる。誰にでも隠れた歴史があることを実感させてくれる回でした。